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春仁の人生模様~生かされて~

神秘体験を含めた視点て、人生行路を書いています

就職先は第二希望でしたが、30年後には第一希望の会社に勤めていました

高校を卒業して、就職先を選ぶときに、学校からの推薦でその会社の試験を受けることが出来たのですが、推薦枠があって、第一希望の会社の推薦を受けることが出来ませんでした。

就職出来た会社は、第一希望では無かったのですが、そこで良かったと思っています。それが、自分の人生の財産になっています。

それはそれで良かったのですが、転職を繰り返す中で、40代後半で転職した先は、第一希望だった、会社のグループ会社だったのです。

契約社員というかたちで、委託先の現場でしたが、そこで、私よりも一回り以上年上の方と仕事の付き合いをしました。

その人は、私の第一希望であった会社の本体で採用された方で、会社の再編でグループ会社に転籍された方でした。

年代は少し違いますが、その人の会社での経験を、いろいろ聞きました。

その話を聞いて、「あー」その会社よりも、私が就職した会社の方が良かったと思いました。



このことで、いろんなことを思いました。



高校卒業の時に第一希望の会社には就職できなかったけれども、それから、30年の歳月を経て、そのグループ会社で仕事が出来たということです。

第一の仕事のピークが最初の会社の最後の一年だったけれども、その仕事は、第三の仕事のピークだったように感じます。充実した期間でした。


また、高校卒業の時の就職先が第二希望の会社で良かったと思えたことです。その時点では、分からなかったことですが、30年後にその回答が出ました。


忘れてしまっていたけれども、今思えば30年前に自分が思ったことが、紆余曲折を経て実現しているのだなと感じます。

これで、高校を卒業したときの仕事の目標が終わったように思えます。

人生の第2章が完結!



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古いアルバムを整理しました

実家から持って帰って来た古いアルバムを本棚に置いたままにしていたので、昨日の夜に整理しました。

一枚一枚を見ながら、要らないものは処分して行きました。

小学校に上がる前の写真から社会人になって、最初の会社に勤めていた27歳までの写真を久しぶりに見て、写真と共にその頃の思い出が蘇って来ました。

子供の頃の写真は、白黒のものがあります。古い家で撮った写真も出て来て、今は無い風景が懐かしく思い出されます。

幼稚園から小学校、中学校、高校、会社の学園、会社の同僚など縁のあった人達と一緒に撮った写真を見ると時間もその頃に戻っていきます。

同級生や元会社の同僚や上司の人達は、今頃はどうしているのだろうかと思います。久しぶりに会ってみたいなという気もしてきます。



写真を撮ったその時は、その後にどんな人生が待っているのか見当もつきませんが、一つ一つ歩みを進めて、自分の道が出来上がって、今振り返れば人生行路が出来ています。

今は53歳ですから、26年前までの写真です。おおよそ今の年の半分です。

良い時代だったなと思います。人生の放浪が始まる前までの前半生が写真と共に思い出されました。





心の引っ掛かりを成仏させる出来事

若い頃は、恋愛に対して、甘酸っぱいものを感じていて、彼女出来ないかなといつも考えていたように思います。

20歳前には、遠距離恋愛をしていたのですが、結局は別れてしまいました。付き合っていた彼女は、その後に私の同級生と結婚したという話を人伝えに聞きました。

その話を聞いてから、その同級生と顔を合わせるのに抵抗を感じていました。

普段の付き合いの無い同級生でしたし、私が土地を離れているから、会う機会も無かったのですが、30年後にその同級生と仕事の関係で会ったのです。

相手は、私のことを覚えていたし、私も覚えていました。会ってみれば、30年前に戻って、普通に話が出来たのですが、巡り合わせとはいえ、こんなことがあるのだなと思いました。

30年ぶりに会って、普通に話が出来て、チョットしたわだかまりがとれたのを感じました。

何らかの事情で、何でもないことを、気にしていたりして、その感情をずっと持ってしまうと、精神衛生上よくないのでしょう。

このときに感じたことは、心の中でその個人に対して不調和な感情を持っていれば、わざわざ、どこかで引き寄せて、その感情を成仏させようとする力が働くのだなと思いました。

目に見えない力が働いて、解決させたのだろうと思います。






育った環境は良いところでした

先日、田舎に帰って自分が育った環境で、改めて思ったことがありました。それは、実家から50メートルぐらい離れた所に神社の杜が見えます。

それを、毎日見ていて、神社の境内は、子供の頃の遊び場でした。

神社と共に育っていたのだなと、自分の原点になっていたように感じました。

境内神社には、須佐男命を祀った社もあります。元は、岩肌を見せた山頂に祀っていたそうですが、それを、村の山すそにある村社に合併したようです。

昔は、夏に田圃の水が枯れることがあったそうで、雨乞いのために、祀った神社のようです。

亡くなった父に聞いた話では、山頂から雨雲が流れて来ると激しい雨が降ったと言っていたと記憶しています。

今でも、夏になると、須佐男命を祀った境内神社の神事を行っています。神主さんが祝詞を上げるようです。

実家の畑を挟んで神主さん家と神社があるので、それだけで子供心に、神様を意識するようになっていました。

神様とはどんな存在なのかを考えていたと思います。

子供心に素朴な信仰が芽生えていたと思います。

生まれた環境の影響を受けているなと、改めた感じた次第です。

山と田圃に囲まれた山すその村ですが良いところで育ったなと思います。年を重ねるとともに郷愁の思いが強くなってきています。





73回目の終戦の日です

今日、8月15日は73回目の終戦の日です。

子供の頃には、テレビから「戦争を知らない子供たち」の歌がよく流れていたのを覚えています。ネットで調べてみると1971年に発売されていて、ジローズが歌唱しています。

ジローズは、杉田二郎氏と森下次郎氏の二人のコンビだったようですが、杉田二郎氏はその後にシングルでヒット曲を出しているので知っていましたが、このコンビは知りませんでした。

その歌を聴いて、生まれる前には戦争があったんだなと思いました。その頃で戦後26年ですが、大人たちにとっては、まだ記憶に新しい出来事だったのでしょう。

兵庫県南部地震発生が1995年で今年は2018年で震災後23年で、まだ生々しい記憶が残っていますから、同じような感覚だろうと思います。

父は志願兵で兵隊に出ていましたし、父の兄は南方で戦死しています。

子供の頃は、両親や親戚からも戦争体験談を聞いた覚えがありますが、美談ではないですね。軍隊の中では殴られてばかりだったと言っていました。

親戚の叔父からは、戦隊を組んで歩兵するのですが、途中で力尽きで倒れる人もいたそうですが、どうしようもないので、そのまま置いて行くそうです。

形見にその人の指を切って、持って行ったそうです。

食べ物は無くで、いつも腹を減らしていたと言っていました。

日本の国としては、やむなく戦争への突入だったのでしょうが、国民の被害は甚大です。

戦争を知らない人達は、戦死者は英雄だと持ち上げていますが、戦火に突入して行った人は、地獄を見ていると思います。

後世の人達が戦死者を弔うことは当然のことですが、戦争を美化するのは賛成しかねます。

自分なりに戦争に突入して行った歴史を勉強してみて、当時の政治と軍の判断が驕っていたところもあるように感じました。

中国に過剰に進出して行ったところで、間違いが始まったように素人目には感じました。蔣介石を相手にせず見たいなことを言ったところから、抜け出せなくなったように感じました。

また、騎馬民族の溥儀を立てて満州国を建国しましたが、日本人優越の民族間の軋轢があったようです。平等を謳っても、人間の性でそれを実践することは、出来ないものだと思いました。

それには、宗教が必要だと思いました。現人神の天皇ではなくて、キリスト教とか仏教といった人間を超越した存在、神仏を信仰する宗教でないと、人心は治まらないなと、感じました。

政治で解決出来なければ、戦争に突入するのが世の常ですから、最終手段に武力による戦いで兵器が使用され、国民の命が失われていきます。

恒久平和は、訪れることは無い、この世界なのでしょう。

これも神様が創られた世界です。いくら信仰を持っていても、戦いに敗れることがあります。キリスト教文明に国家神道が敗れた訳ですが、アジアの植民地を解放したことは、勝利していると思います。

戦争を知らない私ですが、現在も軍拡をしている国家には要注意です。防衛の姿勢は示さなければなりません。



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