私の場合は、そのことを、誰かに聞いてもらい、理解してもらったときに、ホッとしてその期間を耐えることが出来ました。そして、その間、人から慰められることを求めるのではなく、何かできることをやっていました。
勉強なり、ボランティアをやっていました。そうしながら時間を耐えて、新しい展開が開けてくるのを待ちました。焦りが出ると、苦しくなるので忍耐することが必要です。時が満ちれば、次の道が開けました。
誰かに話して、理解されなかったり、逆に裁かれたりしたら、虚しさを感じます。何かを言ってくれるのですが、なぜか、上っ面だけに感じることもあります。聴いていても滑っていくように感じます。
理解されたか、理解されなかったのか、よく分かります。
失意の中にある人に、分かったように説教する人もいますが、それでは人は救われません。よく話を聞いてあげて、理解出来た後に、立ち直るような言葉を言ってあげることが必要だと思います。
以前、友人から仕事の事で相談があって、私なら、分かってくれると思って聞いてほしいと言ってきたこともありました。人は、理解されることによって、救われることがあります。
人を理解できるようになるには、自分の事を考えているだけでは無理です。自分の体験から、理解できるようになったり、いろんな人に関心を持って、その背景まで見れるようになることもあります。
その人の為にと思ってもだめで、ポイントは、相手の立場に立てることです。
最近、人生を振り返っていて、思うようにいかない人生だったなと思っていたら、インスピレーションでそれぐらいの体験をしないと人は救えないと言われました。経験をしながら智慧を蓄えていると言っていました。
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