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春仁の人生模様~生かされて~

神秘体験を含めた視点て、人生行路を書いています

昭和天皇独白録から思うこと

昭和天皇独白録(文春文庫刊)の記事を引用します。

第二巻

宣戦の詔書

 東条は度々宣戦の詔書案を持つて来た。
 最后の案を裁可する時に、私は東条に対し明治天皇以来、英国とは厚い誼があり、私も外遊の際、歓待されたことのある、その英国と袂を別つのは、実に断腸の思があると話したが、東条は後で木戸に、対英感情は欺くも違ふものかと感想を述べた相である。

「ローマ」法皇庁に使節派遣

 開戦后法皇庁に初めて使節を派遣した、之は私の発意である。
 私は嘗て「ローマ」訪問以来、法皇庁とは、どうしても、連絡をとらねばならぬと思つてゐた、日本移民の問題に付ても必要があるからである。第一次近衛内閣の時、広田〔外相〕にこの事を話したら、広田も賛成したが、実現には至らなかつた。
 開戦后、私は「ローマ」法皇庁と連絡のある事が、戦の終結時期に於て好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あること竝に「ローマ」法皇庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なること等を考へて、東条に公使派遣方を要望した次第である〔昭和十七年四月、特命全権公使原田健着任〕。
 後では大使でもよかつたと云ふので、大使を送つて置けば良かつたと思ふ。唯戦争中なので、内地から有能な者を選んで送る事が出来なかつたことゝ、日独同盟の関係上、「ヒトラー」と疎遠な関係にある法皇庁に対し、充分なる活動の出来なかつた事は残念な事であつた。


昭和天皇は、英国との関係が切れたことと、ローマ法皇庁との関係が充分ではなかったことを、悔やまれていたようです。

天皇は、国家神道のトップの存在で日本の精神的支柱であったと思います。その方がローマ法皇庁が全世界的な精神的支柱と知っていたことは、重大なことです。国家神道とキリスト教の関係になると思います。神道の高天原の神々とキリスト教の神々の間に交流が必要であったということだと思います。

それが出来なかったことが日本の敗戦のタイミングを誤らせ、国土決戦までもつれ込み大きな被害が出たのではないかという気がします。

それが出来ていれば、あれ程の大敗にはならなかったという気がします。

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